指導者の条件(7) - 口伝律法の世界

「成文化」を禁じたためこの名称があるわけだが、これは聖書との律法とは同一ではないことをはっきりと示すと共に、一種の施行法、特例法、細則として時代の変化とともに帰るべきものと考え、成文化による固定化を防ぐという意味があったと思われる。


ヨーロッパ人の伝統的な把握の仕方は「空間的把握型」と「時間的把握型」の緊張関係を維持し、その緊張関係により生じたエネルギーだけが人間を進歩させる、という考え方に立っている。

空間把握
停滞。外部が固定しているという前提に立って、人ははじめて、「出生から死まで」という形で自己の生涯を把握し得る。

組織には本来「時間的把握」という要素は入っていない。論理的合理性に時間的要素がないのと同じ。だが、そのままにしておけば組織という枠は完全に固定してしまう。そして人々がその枠に基づいて自己を把握することになれば、各人の意識を一層固定させてしまう。そして、これへの反発から何らかの「騒ぎ」を起こしたとしても、その「騒ぎ」は究極的には、その枠を固定させる方向にしか作用しないのが普通

おそらく、これが日本における「組織」と「人の意識」の問題 ―――もっとも大きな問題ではないか。というのは、ある組織に入る――入社する――とき、もし人が、その組織は自己の善生涯において崩れることなき前提だと思って入るならば、それが崩壊したときはもちろん、エスカレーターが予定どおりに動かなくなったときですら、彼らは、当然に「裏切られた」という感じを持つからである。そしてわれわれのもつ大きな問題の一つは、この人びとが持つ「社会観」に、どう変革を与えるかということではないかと思う。

時間的把握型
時代は必ず終わりを迎え、そのある時代とある時代の接続部分には、急激な崩壊と大混乱があるであろう。

常識ということは、各人のすべてが、一切の「時」には必ず節目があり、その節目と節目の間の「ある長さの時」には必ず「終り」があり、その終りを「耐え忍んで」次の「時」に入った者は「救済される」という発想である。

したがって、こういう意識のもとに生きている人たちの構成する組織が、われわれの「エスカレーター型」の人生把握の枠組みとしえの、空間的にのみ把握された組織と、一見きわめて似ているように見える場合も、まったく別のものであっても不思議ではない。


エッセンスは成文化、その解釈や個々が生み出した付加価値的な部分は口伝で伝達すると切り分けておくことで、本質を捻じ曲げられず且つ個々の解釈が神格化されることを防いできた。また、口伝であるがために、理解するときに一呼吸置けたのではないか。

そのエッセンスをどのように醸成していくのか。そして踏まえて先読みするためには、どうするべきか。それらの軸となるものは時間と空間であり、その軸を頼りにして把握するために方法とは。