指導者の条件(8) - 神聖組織と世俗組織

組織は、生産組織と生活組織の二つを前提として、アメリカのようにその二つを截然と分ける型と、キブツのように両者を一体化する型と、様々の形の中間型に分けられる。

日本はという一種の神聖組織があって、その神聖組織を維持するために、下部組織として世俗組織があるといったイメージが強いように思う。

ただこうなると、初期の僧院と非常に似たものになってくる。すなわち、最初は自給のためにもっていた生産組織が次第に資本を蓄積し、農地を開墾してこれを小作地として貸し付け、次第に、その収益を内部で平等に分ける共同体へと変質していった過程である。だが、そいういった投資がいずれも最終的には接収されていったのは、なにも二十世紀になってはじまった現象ではない。

日本という神聖組織は、戦後、急激な若年層の増加で新加入者を得、一定時にそれが平等に購買力をもち、その購買力が年々増加するという形で急成長してきた。と同時に、その世俗組織は、自己の生きがいを投入し得る神聖組織でもあった。滅私奉公組織が可能だったのである。これは伝統的形態がうまく作用したためであろう。

だがこの成功の一方では、神聖組織的な平等の要求を生じ、他方では、世俗組織の非神聖化を生じた。それに対抗すべく、企業は自らを福祉化・家族化して、企業内に神聖組織的要素を組み入れようとしてきた。しかし、神聖組織は元来、平等であり無競争であり、膨張発展すべき要素はもたず、ゼロ成長が当然なのである。


現在はさまざまな新しい模索がなされねばならない。もちろん、世俗組織と神聖組織をわけることも一つではある。