Wikipedia、BTSへの違和感

WikipediaBTSをはじめた見たときの違和感はこの辺にあったのだろうか。
BTSはバグを取るという目的が見えているのでまだとっつきやすいが、Wikipedia編集履歴をみたときは、これはどうしたものかと。純粋な意味での「教義に注釈」をつける、ということとは異なるが、一つのコンテンツを鍛えていく過程が可視化されているというのは、なかなか気持ち悪いものではあった。

索引をつけて歴史を整理していく、ということを現代に置き換えると自分なりのタグをつける、ということであり、その自由度においては一歩進歩したのかもしれない。
グローバルとローカルの間をうめる情報のアクセス形態 Glocalization - Goodpicを参考にすると、「最近のWEB2.0とは、グローバルにアクセス可能な情報の上で、再び自分のためにローカルを構築する仕組み」とも通じるところだろう。ただ、タグ、リンク(Trackback)において、そこに込める情報量を利用形態の幅を見込んで、もう一歩「だけ」踏みこむ必要はあるだろう。そのさじかげんをどうするか。