指導者の条件(10) - 「索引化」による日本の再生

トサフィスト
中世ユダヤ教徒のある一軍の人々を指す言葉。トサフトからきた言葉で、「外側」「欄外」を意味する

写本時代から欄外に書き込む習慣は続き、西欧文化に見られる特徴である。

彼らは、独創的な発想を試みつづけたように見えるが、「思いつき」や外来文化の「模倣」から生まれたものではなく、この作業の過程で生まれたものである。

このトサフィスト的解釈を加える作業は、組織内における定款・社規・社則・マニュアルにも及ぶ。当然軍隊、会社、その他組織においても、常に同じような作業を繰り返している。

トサフィストの青果が、彼らにとっては「歴史」であるわけで、歴史という対象は決して、ある一時点で行なう「過去の物語化」ではない。歴史という言葉の原意は「目撃者の記録」である。あるものを「目撃する」――もちろん「本文を読む」もその一つだが――、この「見た」ということ自体は、「見られた対象」ないしは「読まれた対象」と自己が一体化することではなく、全ての人間はそのとき内心で何らかの「注記」を行なっており、それを記して積み重ねていくことが「歴史」であるということに過ぎないのである。そして、それを継続してきたものだけが、それまでのトサフィストの記録の延長線上に、遠い将来と近い未来とをともに性格に予測できるはずで、この継続的作業がなければ、将来の予測は不可能であり、いわば「カン」に頼るか僥倖を期待するしか以外に方法はないはずである。

社規・社則と現実的処理は「二尊」であり、その間の矛盾を調整していくことが、一種の「欄外注」なわけで、(中略)基本を動かさないことによって、われわれは社会の変化と自らの変化を掴み取るのであって、この両者を並存こそ、組織が組織として「形骸化せずに生きていける」基本であることは言うまでもない。

例えば、国鉄などにおいても、日本総輸送機構の中におけるその変遷について、耐えざる「欄外注記」を行いつつ、一定期間ごとに、それ再編集するという形で、組織の基本を残しつつ、その「注記」に基づく組織の徐徐になる部分的改廃をつづけていけば、おそらく、のちのような形にはならなかったであろう。だがこれは、すべての組織にいえることであり、いま日本のある組織が三十年後、五十年後まで生き残ろうとすれば、すぐにはじめるべきことは、その組織内におけるトサフィスト的行き方をいかにして確立すべきかということのはずである。
試行と模索とは、簡単にいえば、この作業のことであって、それは朝令暮改でもないし、やみくもにいちおうまずやってみようということでもない。と同時に、トサフィストの記述は、後から見れば、いかに誤って見えようと、絶対に消してはならないものなのである。

すべては失敗の記録から

このことは原子力の問題においても同じである。日本の原子力平和利用は大半が輸入であり、すばらしい勢いで技術導入され、今ではアメリカと比べても、技術水準においては、ほとんど差がないという。しかし最大の違いは、彼らが成功せる5%の成果のほかに、95%の失敗のデータを持っているが、わらわれにはこれがないということである。われわれは彼らの5%の成功を導入し活用しているからである。そして失敗の95%がないことかが、将来への発展の大きなブレーキになっているという。いわば一方は「失敗の記録」の積み重ねから成功を引き出したのであり、一方は、その青果に巧みに対応したわけである。そしてこの失敗はすべて、問題を解決し、成功に転化しうる「成功予備軍」であり、最も貴重な資産である。

簡単にいえば、歴史の延長線上にいるという意識をもつことであり、もしそれがメーカーならば、製品は製品史として残しておくということにすぎない。そして過去の製品とは、現代を基準に見れば、すべて失敗した製品だということである。だが、それをそのまま残すことが、進歩なのである。

先鋒は、原点の語義、本文批判、本文校訂、古代諸訳との対比、教父文献における引用の研究という長い年月と大きな労力を投じたピラミッド構築のような膨大な基礎作業の頂点として一つの結論を出している。ところが日本では、それがいっさいなく、その頂上のつまみ食いをして、適当の論じいて、巧みに結論を出し、それでも「学問的業績」として評価されている。しかし、基礎がなく、この基礎を本当に活用できる過去の業績の組織化がない以上、それはいつしか行き詰って、何の成果もなく消えるであろうという批判である。

過去をどのように組織的に活用するか。その原則は、過去の「索引化」である。
組織とは一つの体系であり、これを横断的に検索し得るものが索引なら、歴史も一つの組織として捉えた場合、これも索引化できるわけである。